... PAST - ThinkAbout ...
世の中がドラマや映画のように
いい人と悪い人の二種類しかいなければ
どんなに簡単だろう。
自分も含めて
自分以外の人も含めて
実際はもっと複雑で
分かりにくいものだ。
正しいだけの人もいなければ
悪いだけの人もいない。
苦しい状況に置かれた時、
生きて行くために、
人は選択しなければならない時がある。
というか、選択せずにはいられないのだ。
それがで正しい事あっても
間違っている事であっても
現在の状況を変えるために
「変えたい」ために
キャンパスを我が物顔で闊歩する新入生を見てると疲れるというようなこと常日頃思っていたが、今日改めてキャンパスを眺めてみると、実はそうでもないようだ。
早くも大学デビューに失敗した、いかにもどうしようもなさそうな男や女。20そこそこで老人力、超勉強法ならぬ超童貞法(超処女法)みたいな人間が少なからずいる。もぐりではないが、「隠れ」もいる。まあ焦らず大学生活に慣れてほしい。今までと何も変わらない日々が繰り返されるだけなことが身にしみてわかるようになる。
そのうち「大学生はいい思いをしなければならない」という強迫観念から、バイトとか旅行とか飲み会とかサークルとかを全部上っ面だけやってみることになるだろうが、どれも物足りない。「なんか違う」と思う。そして隣に座っていたコとか、遊び先でのバーでちょっと気の合ったコ、サークルやバイト先の手近な人間かなんかに、ついうっかり手を出したあげく自爆というパターンも微笑ましくてよい。あはは。
そう、世間一般に流布してる大学生像のほうが間違っているのだ。才能がない大学生というのは、もしくはそもそも人間とは、孤独で金がなくて無内容だ。凡人とはそういう星のもとに生まれついているのだ。すげー自虐的考え(笑)
自分の事を考えて見ると、もちろん2回目の大学生活なんかやったって自分から動いて自分の認識が変わらなければ、同じことだから念のため。今のままでは、偽装結婚しようが、海外で出なおそうが、全て「どうしようもない自分」から逃避するための最後の隠れみのにしか過ぎない。
じゃあなぜ2回目の大学生活を目指して、こんなに苦しんでいるのだ?くだらない人間関係に悩んでいるのだ?その事に対する答えは恐ろしいほどまでに、単純且つ、無思考のもとで明らかにされる。自分が要領がなく、馬鹿だから。正しいか、正統なものか、いいのか悪いのかなんて問題ではないのである。もともとそんな物は最初から存在しない。自分の欲望のままに都合のいいことだけを選択し、そうでないものを排斥して生きるエゴイストなんだよ。俺って。俺だけかな?
ちょっとだけ複雑な過程環境 不幸にひたる気はないけれど
夢見る事も あきらめる事も 感じる事が人より多くて
変わった子供だと言われてきた
大人が喜ぶことをしてみたり、聞き分けの良い子を演じたり
だんだん自分がわからなくなって 気がついたら
素直になれない人間になっていた
「とりあえず」とか「それなりに」とか
見えないルールで縛るのはやめて
自由とか個性なんて言葉にはできないものでしょ?
ちょっとづつ 流れてる 雲を見上げて
ゆきすぎる靴音 きいていた
あせっているのに 先へ進めない
やりたい事は山ほどあるのに
うまくはできなくて
「なんとなく」とか「そのうちに」とか
隠したレールにのせるのはやめて
決められた明日なんて今はまだ必要ないから
だんだん自分がわからなくなって 気がついたら
一番嫌いな大人になりそうだ
「なんとなく」とか「それなりに」とか
隠したレールにのせるのはやめて
決められた明日なんて今はまだ必要ないから
「なんとなく」とか「そのうちに」とか
見えないルールで縛るのはやめて
自由とか個性なんて 言葉にはできないものでしょ?
胸の奥のもどかしさどうすればいいの?
遠い夢が見えなくなったよ
呟いて空を見上げたら
流れる星の向こう側に
君との約束がまぶしく映る
TRY! 慰めの言葉なんて 心に届かない風
つまづいても 迷っても 明日があるから
ずっと大切にしてた あの日の夕暮れ
駆けだしてく小さな自分が
いつまでも記憶でゆれてる
いつかは思い出にしたいね
一人で歩き出す時がきたなら
過ぎてゆく時の中で 何を求めてゆくのか
自分にしか見えないと分かっているから
果てしなく遠い夢でもきっとつかんでみせるよ
流されずにまっすぐな心を信じて
流れる星のむこう側に
君との約束がまぶしく映る
TRY! 慰めの言葉なんて 心に届かない風
抱え込んだ不安だけ大きくなるけど
自分で決めた事だから 多分一人でも平気
躓いても 迷っても 明日があるから
人間の心理を勉強している学生が言うのもなんだが、僕は自分の精神状態をコントロールするのが非常にへたくそである。些細なことでも、ずー―と覚えていて、それを悶々と考えたりする。いつも思うけど、俺ってなんて世渡り下手なんだろう。ホントに。どうでも良いところで人より何倍も容量がいいくせに、自分にとって一番大切な時期や、事柄について自分が直面した時、その途端に臆病になってうだうだしてしまう。
理想や空想の中で自分を語る事はたやすい。その時何も行動していなくても、理想や空想は人に語る事が出来る。ずっといままで僕はそうしてきたのかもしれない。中学、高校の時からずっと。
ただ一つ、その頃の自分と違う事は自分の理想に向かって実際に動いている事である。その中で痛烈に感じたことは、理想や空想と、現実は全く別物で非常に厳しいものであると言う事だ。これはどんな事を対象にしても成り立つ。
「やってみなければ分からない」と良く言うが、確かにその通りだと思う。全くその通り。ただ、やってみてその事柄について、すぐあきらめたり、投げ出すのはどうしたものかと思う。理想や空想で自分がやりたいと思ったこと自体は現実じゃなかったのか?自分がその時点で思ったことは現実じゃないのか?僕は何事に対しても打算的になりたくない。周りがそうだからとか、普通そうするものだとか、それが当たり前とか、そういうのはいやだ。
周りって、普通って、当たり前ってなんだ?と聞かれて、それに答える事が、悲しい事に僕は、出来るようになってしまった。そのことに自分が属していると、ものすごい安心を得られると言う事も知ってる。だけどそんな風には到底僕は、生きられないので、ただ、頑張るしかないんだろうなと思う。
こんな風に自分の事を考える時間を持つことは、その時点での自分を整理する事にも繋がる。自分に余裕がないと、これが出来ない。最近積極的に自分のことを考える時間が持てなかった。「時間は自分で作るもの」といわれているが、実際なかなかそうは行かない。それが、現実の厳しさの一つなのかな?と思う。
筑紫哲也が言っていた。
「日本の若者が世界の国々の若者に比べて飛びぬけて所持率が高いものが2つあります。それはケータイとブランド品です。逆に日本の若者が持っていないものもあります。それは良質の教育です。」
・・・まったくもってその通り。ぐうの音もでやしません。
俺、前から思ってたんだけど、俺、獣医になりたいから30歳まで学生(予定)なのね。ズ―ット貧乏(確定的事実)なのさ。今、そのための学費を貯めるために公務員の初任給以上の収入(仕送り含む)が毎月あるんだけどほとんど貯金に消えてゆく。150万貯めないとダメなんだ。だから遊べないさ。遊びたくても。遊んでるけど。ちょっとね。(笑)俺と同い年で現役で4年制大学に入った人は卒業して今年から社会人になる。お金は入ってくるけど、社会ってのはそんなに甘くないって事は分かってる(つもり)
車とか免許とかとって、なんだかとっても楽しそう。別に俺がつまんないわけじゃなくて、そう言う普通なかんじがすごくうらやましいだけ。俺が要領悪いだけって話もあるけどね。
ときどき獣医なんてあきらめて普通に就職して、そのお金で、服とか車とか旅行とかしたり買ったりした方が幸せなのかナって思うときがあるけど、それが出来る収入があるいま、やってないってことはやっぱり俺、獣医になりたいんだな―って思う。
筑紫哲也が言ってることは全くもってその通り。俺の周りの若者がブランド品を欲しがるのも分かる。だって俺だって欲しいもん。
けどこうも思う。親のすねかじり状態で、六畳一間で、貯金がなくて、頭がアホで(成績のことではない)グッチ?プラダ?ヴィトン???
おふざけになるのもほどほどにして欲しいね。それじゃ服を着てるんじゃなくて、服に着られてるんだよ。ブランド品というのは「余裕」で買うもの。そのせいでカード地獄に落ちるなんて愚の骨頂!だから外国ではステータスになってるんだよ。ヴィトンなんてマダムブランド!!(笑)逆にいうと「余裕」があれば若くても着ていいってことになる。ブランド品を手に入れるためにお金を貯めて買うもんじゃない。
でも、なんだかんだ言って俺も欲しいから、「余裕」で買えるときまで我慢だね。35歳くらいかなー。順調に行くと。(涙)
そう考えると、俺にとって今しかできないことって、車を買うことでもなく、高い服を買うことでもなく、旅行に行くことでもなく、獣医になるための勉強をすること(受験勉強)なんだよね。そのためには「余裕」が出る時までにかっこよくなってなきゃ。うーん。大変だ。したがって結局しばらく俺は貧乏みたい。スーツは青○、服はハン○ロウORユ○クロOR古着、車は(買うとしたら)中古の軽、旅行はチャリで日向ぼっこ!!部屋は1kだぁ――!・・・・・・・・・・・・・・
ある意味、こんなのも今しかできないこと、今しかしたくないこと・・・・・・・・・なんだか悲しくなってきた・・・・・・・・・・・・。(涙)
って頑張らなきゃね―――――――!!!!って事で今年もよろしくね。苦学生のオサムでした。
人って自分がやった事とか、言った事、書いた事が他人にどう思われるかなかなか把握できてないような気がする。今の俺はまさにそう。今日、友達に言われたんだよね。かなり反省。なかなかうまく行かないもんだ。気をつけないと。
人の目ばっかり気にしてても、何にも始らないし、それって自意識過剰である場合が多い。たとえば自分では「くっそー。今日の髪は寝癖爆発だー最悪!」とか思ってても他人は「あっ??パーマでもかけたのかな?」と思うか、全く気にしていないかのどちらか。ってか後者の方が多いけど。・・・・これって、自分が最高だって思ってても、他人はあんまり気にしてくれていないって言う事のアンチテーゼになってる事が、俺的にはちょっとイヤ。でも、所詮そんなもんなんだよね。
しかし、今日俺が思ったのは、気にしなくていい事と、気にしなくちゃいけない事の判断はきちんとしておかないと、本当の「自己中」になってしまうと言う事。俺のモットーは「他人に迷惑をかけない自己中」だからね。無理な事なのかなー。まぁいいけど。
物事にはやり方ってもんがあるとも、思った。アプローチのし方によって、反応が全く違ってくる事があるから。たとえば
ホントにムカツク相手に直接「クソ馬鹿野郎!!」とのたまうより、自分の中でそいつを完全に無視、もしくは存在を否定するほうがよっぽど俺の中でエネルギーを使わないとかね。
・・・・なんか変な例だけど。誉めることで例を示した方がいいのかな。
「上手だね―」と誉めるより、「信じられない。なんでこんなに上手なんだよ。今まで見たことなーい!!」といったほうが相手には良いと言う事。
・・・・・ますます訳わかんない(笑)とにかく何か事を起こすとき、やりようってもんがあるって事を俺は再確認しました。こうして人は大人になっていくんだね(?)
この世には「昨日」も「明日」も存在しない。
あるのは常に「今」だけだ。常に「今」の連続だ。
したいことは、できるだけ「今」するようにしよう。
常に「今」自分のベストを尽くそう。
ほとんどの人間は、昨日したこと、
明日しなくてはならない事を考えて生きている。
今を見つめるという事は、案外していない。
本当にその瞬間に集中し手いる人は、影がなくなる
というマレーシアの民話を思い出した。
夢とゴールを持ちつづけながらも、その結果に執着せずに
「今」を見つめ、精一杯生きる事によって
無限の可能性がいかされる。
今日、学校で友達に「この言葉ってなんか良くない??」と見せられた、ダライラマのお言葉。うーん。なかなかいい事言うね。ラマも。Y、君も将来に向かって頑張らなきゃね。俺もだけど(笑)
多少、辛いことはあるかもしれないが、それでも頑張ってやりたいことやるのってなんかかっこいいなー。と思った。
このたび、なんでアクセスカウンターがないのか?という趣旨のメールを頂戴したのでこれに返答したいと思います。ずっと前は確かにあったんだけどね。カウントが上がって行くのがすごく楽しくて、嬉しくてしょうがなかった。いろんな人が俺のページ見てくれてるんだ―って思うと、認められたような気がして、嬉しかったのさ。フォトメにも宣伝出したしね。1日で800ヒットなんてざらになったもんだ。カウンター取る前で13000ヒット超えてたんだよ。おそらく。
だけど、そのうち、(俺の性格が悪いんだと思うんだけど)、HPの内容より、カウントがいかに増えるかが目的になってきちゃったわけだ。もう、気になってしょうがない。カウント。それだけ。こうなったらもう、脱ぐしかねーなー、と思った矢先、ふと疑問に思ったのである。俺は。
自分の書きたい事が書けなくなってる!
アクセス増加のために、当り障りのない文章とかしか書けなくなってるし、カウントが1日中気になっちゃうし。イヤになったというか、こんなカウントのタメに振りまわされるのがウザくなって取っ払っちゃったわけです。はい。
取っちゃったことで、俺はとっても楽になって、気軽にHPを続けて行くことが出来るようになったのさ。でもどれくらいの人が見に来てくれているのか具体的に分からないというデメリットもあるわけで、俺にコンタクト取りたい人はメールか、掲示板に書いてくれない限り、全然わかんないのだ。いいんだけどね。それはそれで(笑) ただ、暇な時にくだらないHPでもみてやるかーみたいなノリで見に来てくれても全然OK!
宣伝は多分これからするでしょう。前とは違った意味でね。全コンテンツアップできたらのお話だが(笑)
これからもよろしくね。くだらないけど(笑)
最近、とっても自分の将来について考えてしまう。俺、今の大学終わってから、獣医学科のある、国立大学に入りなおそうと思ってるんだけど。それってかなり難しいこと。今、獣医学科のある大学って結構全国的に散らばってるんだけど、俺が大学卒業する年の入試から、吸収合併して北海道大学、東北大学、東京大学、九州大学の4っつに統一されるらしい。
物の見事難関校ばかり。国公立なら大阪府立もあるか。でも、全国でたった5校。その結果競争率が上がる。そしてかなり勉強しなければ、絶対に入れないのだ。それに、学費とか生活費とか全部自分でやるつもりだから、お金も貯めなきゃならない。だから、俺今バイト掛け持ちしてやってるんだけど。
ま、俺の要領の悪さが事の原因なんだけど。一発で獣医学科のある大学に入ってればこんなに大変な事にはならなかったと思うけどね。自分のしてきた事に対して後悔はしてない。つもり。今までの事がなければ、現在の俺はいないから。治さなきゃいけないところははたくさんあるけど、今の自分で好きなところもあるから。
時々ふと思うんだよね。バイトしてもらったお金を全部遊びのために使って、大学もわざわざ入りなおさないで、就職する。そしたら、ものすごく気も楽になるし、たくさん遊べる。結婚するわけじゃない(だって女相手に勃たないんだもん。今は)から給料は全部自分のおもうがまま。もともと俺は遊ぶ事がダイスキだから、それはそれで楽しい生活を送れるとは思う。そういう生き方を否定してるわけじゃない。はっきり言ってこの方が普通だよね。
ただ、俺にはやりたい事が「不幸」にもあるのである。これを無視して上のような生き方してたら絶対何年か後に後悔するときが来るような気がする。それが怖いのさ。だから出来ない。でも、どうなるかわかんないよねー。人間。
・・・・・・だから結局勉強もしていくし、お金も貯める。けど時々、ちょっと辛くなるときがあるんだなぁ。単純な俺でも、考えちゃう時があるんだよ。ははは。
もうちょっと要領良く生きていけたらなと思う今日この頃。
人間の価値観って時々変わるもんである。今のバイトの経験から俺の価値観はものすごく変わった。どんなにえらい人間でも地位のある人間でも所詮年取ったら、俺みたいな奴に風呂に入れられちゃったりするのである。みんな平等にね。
それがわかんないで「なんで自分が人に風呂に入れられなきゃなんないの??」なんて考えてる老人はたいてい「やな奴」として介護者である俺たちに捕らえられている。やっぱ、いつ行ってもニコニコしてる人を見てるとこっちまで幸せな気分になるから。いつもニコニコとしていたいもんです。なかにはあまりにニコニコしすぎて、さらにものすごい福耳で、立派な体格、さらにはげているというじいちゃんもいて、まるで七福神の布袋様のような感じ。洗髪もするんだけど、仲間内ではきっとご利益があるってことで、洗い終わると頭を撫で回してます(笑) やっぱ笑ってないとだめなんだなぁーって思ったね。
価値観のかわりっぷりと言えば、俺自分の服装に対する価値観もホントによく代わったと思う。その昔、俺ってばブランド小僧だったのね。なんでもかんでもきちんとしたものじゃなきゃ着たくなかったのだ。それがなんでかわったのかというと浪人してた時にはじめて一人暮しして、貧乏と言うものを経験して(したくなかったけど)そんな余裕がなかったってことと、服飾関係を目指してる友達とであったことだね。だってさー、デザイナーズブランドの服なんてTシャツ一枚一万円なんてざらじゃん。そんなん買えるかぼけ!!ってな感じ。それだったら自分で布買ってきて、自分で作っちゃったほうが安いし、気に入ったものが作れるじゃん・・・と言うわけ。
今、俺が一番欲しいものの一つに、ミシンがあるのは感の鋭いあなたなら分かっていただけるはずです。まずい、また趣味が増えて行く・・・・・・・
自分が生活していく上である種の「波」のようなものを感じる時がある。
それは自分自身の中から涌き出てくるような内的な要因によるものであったり、
まったく外部から、自分の感知しえないものからの
アプローチによるものであったりする。
人はそんなものに振りまわされて生きているような気がする。
楽しい時もあれば、「プラス思考」という単語などどうでもよく、
そんな事が考えられないほど、辛い時もある。
この一ヶ月間、精神的、肉体的に非常に辛かった。
自分ではどうしようもない八方塞な状況。
なにをやってもうまく行かない、自分の思った通りにならない。
そんな「波」のなかでもがくのがバカらしくなってきた。
俺にはやりたいことがある。しなければならないこともある。
行動しないと何もはじまらないし、何も終わらない。
このホームページはじめてからというもの、なんか自分自身の考えてる事を人に分かってもらえる、もしくは知ってもらえるって事がものすごくうれしい事だということに気がついた。ほんとにねー、俺分裂気味(?)だからスキな事とか、趣味とか、考えてる事が支離滅裂で、「おさむって何考えてるのかわかんない」なんていわれる事もあるんだけど(笑)
ただ、普通にしゃべってる言葉より、自分の考えてる事が、文章化する事でよりストレートに(自分自身では)伝わっているのでは?と思うね。だけど、ホントに俺が思ってる事がそのまんま、相手に伝わっているはずがない。文章を読んだ後の印象ってその人毎に違うでしょ。だから、そこらへんがこそばゆい感じがするなぁ。それに文章で自分の気持ちを表現しても、まだ100%ではない感じがするから、それも歯がゆいなぁ。
だけどねー、多分このページの各コンテンツを読んでくれている人は、そこらへんの人より、俺の事を普通に知っている人より、何倍も俺の事知ってる事になると思う。その上で、メールくれたり、掲示板に書きこんでくれたり、何らかの形で俺にアクセスしてくれる人がいる事って俺にとってすごく嬉しい事であるわけ。
自分の考えてる事を、公開して反応を待つ事って、ある意味ナルシスト、違う意味自慰行為、オナってるだけなんですけど(笑)これからもPSをよろしくね。
一人暮ししてるとなんかいろんな人が俺の部屋にやってきます。新聞の勧誘の兄ちゃんであったり(オヤジの時もあるけど。)、変な宗教の勧誘であったり。俺、新聞の勧誘は好きだなぁ。カッコイイ兄ちゃんだったら、思わずとってしまうかもね。新聞。でもただじゃとらね―よ。俺は。
この前来た兄ちゃんとは1時間くらい話してたんだけど、ノルマがあって大変そうでした。で、新聞とることにしたんだけど、その兄ちゃんの持ってる洗剤(およそ10個)と、トイレットペーパー(20ロール)、ビール券(5枚)、さらに極めつけとしてはとる時期が来年の4月から(笑)。兄ちゃんにとっては踏んだりけったり、いいんだか悪いんだか訳のわからない状況になっていました。俺も生活かかってるんでねぇ。(笑)
宗教の人も来ます。でも決して変な人たちではなくて、人のよさそうな人がくるんだなぁ。俺、無宗教人間だから、何かを信仰してる人に対してすごい嫌悪感が昔はすごくあった。けど、最近分かるような気がする。これだけ、価値観が氾濫、崩壊して画一化されたものが、はっきり言ってなんにもない世界において、何かすがるもの、頼れるものがあると、自分でそれを作っていかなくてもいいからすごく楽だろうな、と。
CF、人間そのものがその「頼れるもの、すがるもの」になっちゃうとそれは心理学でいう「共依存」って奴になっちゃう。「あなたがいないとわたしだめなのぉ」って言ってる人はその人に依存してる。って言われてる人もそうやって言ってくれる人の存在に対して、依存してる。とかね。簡単にゆうと。
浪人してた頃(今でも)、自分の考え方、生き方の「核」になるような何かが欲しくてあがいてたんだよね。俺。それって今思うと自我の確立ってやつなのかなぁと思ったりするけど、それなりにものすごくきついわけよ。さらにこうゆう事って何かに挫折したりして自分の事を考える時間がないと考えないと思う。だ・か・ら、ずーっと考えないで(考えなくても生きて行けるから。)順調に生きてきた人が社会にでて何かしらの挫折を味わった時、ものすごいプレッシャーになるわけ。それがいろんな形で精神面、身体面における障害として出てくる。
それで、宗教ってものがなーんとなく理解できるかな?と思えるようになりました。最近。でも宗教にすがるってのは俺の脳みその中には微塵もありません。一つだけ信仰できるものがあるとしたらそれは「オレ教」(????)。そうやって誰のものでもない自分の考えを自分で作っていくことって辛いことかもしれないけど、面白いと思わない??いろんな人と出会って、いろんな経験して、いろんな本読んで、考えて、もがいて、形成されるもの。それがあれば一生の宝物になるような気がする。
蛇足・・・・でもぉ、金がないと生きていけないので、金も俺の一生の宝物。・・・になって欲しい。いや、まじで。(笑)
6月28日に授業で過去に児童虐待をしてしまったお母さんが、特別に俺の大学で話を聞かせてくれた。前のnews log にも書いたんだけど、ホント疲れた。
そのお母さんの話。
生まれた時からそのことを「かわいい」と想うことが出来なくて、笑いかけてくるその子の顔を見るだけでいらいらする。何をしても、どうしようもなくむかついて、ささいなことでも、殴ったり蹴ったりの暴力で言い聞かせるようになった。幼稚園に入る頃になると、その子の行動に異常が見られるようになる。周りの子供たちとうまく溶けこめない、いじめるなど。そのことで幼稚園の先生になにかしら言われると、お母さん自身が否定されているように感じちゃって、家にかえってまた徹底的に暴行をする。その子供が高校生になって家庭内暴力にまで発展したとき、カウンセリングをお母さんは受けに行った。
実はこのお母さん、子供の頃、性的虐待を実父から受けていたそう。お母さん自身そのことは忘れ去っていたみたい。なぜなら、覚えていたくないから。これ専門用語で「否認」ってゆうんだけど。自分の親の愛情を感じることが出来なかった子供は、大人になってから、自分の子供をどうやって扱っていいか分からずに、虐待をしてしまうケースが多い。
このお母さんの親が自分の子供に対して性的虐待をしたのは、親の親もまた愛情を十分に与えていなかったことの証明でもある訳。となると、その原因はずーーーーーーーーっと前にまでさかのぼってしまう。個人だけの問題ではなくて、ジェンダー、家父長制などの歴史的背景も影響がありそう。
家族の果たす役割の重要さ。人間の弱さ。そんな事をかんがえた一日。
…INDEX…
>> UP
>> DOWN
>> F-TOP
>> TOP
|